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トゥールビヨン機構は“複雑”のための複雑!?

まず、トゥールビヨンとは一体何ものなのか。複雑機構だというのが現在の一般的なカテゴライズなのですが、時計の古典的なプロトコルに従えば、実は複雑機構ではありません。複雑機構は「計時機能以外の“機能”を持っているもの」という決まりがあるからです。なので永久カレンダーやミニッツリピーターは特別なファンクションを持った、明らかな複雑機構ということになります。一方トゥールビヨンはあくまで“重力誤差を解消する”ものであり、表出のファンクションを持っていない。高度な機構ですが、機能を持たない“複雑のための複雑”であり、複雑機構ではないことになります。

何もトゥールビヨンを貶めている訳ではなく、その逆です。すなわち、正確さにしか寄与しないトゥールビヨンは“純粋な複雑機構”であり、哲学的な用語を借りれば 「絶対複雑機構」とでも言えるものです。初めてこういう問題提起をしたのはもう 20 年以上前になりますが、現在においてもリアルなイシューでしょう。あらゆる複雑機構はクオーツ時計で電子的に再現されていますが「トゥールビヨンを搭載したクオーツ」は未だかつて存在しないのです。

その機械式腕時計の一丁目一番地の機構にタグ・ホイヤーが切り込んだことは、なかなか興味深い出来事でした。値段も衝撃でしたが、痛快なのは100m防水機能です。“ウォータースポーツも可能”なトゥールビヨンは、いかにもタグ・ホイヤーらしい。誠実にスポーツウオッチを造り続けてきたブランドが、歴史に敬意を表しながら造った腕時計というのが明らかで、好感が持てます。軽快なその品は、アブラアン=ルイ・ブレゲに始まるトゥールビヨン200年の歴史に収まるのです。

一方、あまり触れたくはないのですが、悪質なコピーや低品質な “トゥールビヨンの形をした時計”が、マーケットに出回っていることもまた現実です。トゥールビヨンは今、皮肉な話ですが“精度さえ気にしなければ”外見を造るのはそう困難ではないようです。少 なくとも、そういう了見で造っている者が、地球の一角にいるということですね。歴史の尊重も文化への畏敬もなければ、つまりはプライドがなければ、造れないものではないということです。

以前に鹿児島大学が調査した話ですが、南太平洋の一部では、現代でも石貨が価値を持つ島があります。大きくて重く、穴に棒を差して数人で運ぶあれです。初めてその石貨を見た欧米からの渡来者の一人が、狡いことを考えました。自分で造った石貨を持ち込むこと で、大金持ちを目指したのです。男は目論みを実行に移したのですが、島のコミュニティは画期的な防衛策を実施しました。既存の石貨にそれぞれ来歴を同定し、由緒なき石貨は圧倒的に価値が低いということに決めたのです。

現代のトゥールビヨンも、同様なアイデンティティを持ってはいないでしょうか。すなわちトゥールビヨンは形が問題である以上 に、それが表象するもののほうが大事なのではないか、という点です。複雑であること自体に意義がある絶対的に純粋な存在は「腕時計とは何か」という根源な問いの答えに、最も近いところにあるように思えるのです。